「過激な基地反対派」言説が支持される理由

みなさま、こんにちはモバイルプリンスです。
前回の記事、思っていたよりも多くの方に見ていただき、感謝です。

mobileprince.hatenablog.com

色々な意見があるでしょうが、全国の皆様がこの問題に興味・関心を持っていると捉え、嬉しく思っております。改めて、ありがとうございます。

 

さて、当ブログ初めてのコメントはこのようなものでした。

 

反対派の座り込みや暴力行為自体には何も触れない
ただの左翼じゃん

 左翼の定義がよく分からないところではありますが、「反対派の違法座り込み・暴力行為」について、ネットで拡散されている所をよく見かけます
今回はこの件についての私なりの考えを表明したいと思います。

 

「反対派の言動」は枝葉の問題

まずは冷静に問題点を分けて考えてみましょう。

そもそも「米軍基地の移設の是非」と「反対している人たちの過激な言動」は問題として、対になっていません。
「反対している人たちが品行方正だから移設をしません」、逆に「過激だから移設を推進します」となるとおかしな話になります。

数十年間も育った大きな「問題の木」があるとして、その根幹の太い部分は「辺野古移設の是非」になり、その幹から派生した細かい枝葉の一つに「反対派の言動」があると私は認識しています。
つまりは「辺野古移設」の問題がしっかりとした形で解決すれば、木の根幹が無くなるわけで、枝葉の問題も消え去るということになります。

本筋の議論をしたい時に「反対派は〜」とした返しを頂いても、話が噛み合わない事になります。

暴力、違法行為に敏感ならば...

反対する人たちに非難が集まる代表例は「座り込みで渋滞が起き、地元住民に迷惑がかかっている」「防衛局職員を抑え込むなどの暴力行為を行なっている」などでしょう。

こうした現場を収めた動画がSNSで拡散されているのをよく見かけます。

私は直接こうした行為を見たことはありませんが、現場で衝突が発生し逮捕者が出るなどを報道を通じて知りました。

確かに道路交通法や、暴力的な行為は良くないことです。望ましくないと思います。
その一方、狭い視野でなく広い視野で考えることも大事でしょう。

国と県という不利な力関係での衝突。現場レベルだと、国家権力VS市民という圧倒的な状況です。
反対している人たちの「違法性」「暴力性」を指摘するのであれば、「地方自治の侵害」「選挙で民意を示しても強行する暴力性」なども同時に考えなければ片手落ちでしょう。

大人が子供をからかい、子供が反撃のパンチをしたところを捉えて「子供、お前最低だな!」と言うようなものです。確かに、パンチは良くない。ただこれまでの流れを踏まえようね?ということですね。

 

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(写真は平和祈念公園。撮影は展望台より)

 

反対派の行動を突くのが一番楽

「反対派の野蛮な行動」などの画像や動画を拡散する理由は人それぞれでしょう。

ここからはあくまで私の推論になりますが、「過激な基地反対派」像が拡散されるのは、勉強しなくていい、楽な選択肢だからなのでは?と思っています。

 前のエントリでも書いたように、移設問題はまともに向き合おうとすれば、抑えておくべき知識や条件も多く、沖縄県の経済事情や軍事の知識も求められます。
とっつきにくく、面倒くさい。考えぬいた上で、白黒はっきりと答えが出せないかもしれない。

しかし「反対派が道路交通法違反をしている」という問題は、すごく分かりやすいダメなポイントです。

憲法」で定められている地方自治の問題を考えるよりも、「国連ガイドライン」で定められる集会の自由よりも、「道路交通法違反」の方が身近で、分かりやすい。

だからこそ「とっつきやすくて拡散される」と私は思っています。

これは何も基地問題の時だけに出てくるものではありません。

老老介護に疲れた人が、押しつぶされながら「介護殺人」行ったニュースに対し、「殺人はダメだろ」と杓子定規なコメントを書き込まれるのをよく見かけます。

「介護の問題はとても難しく、解決方法も分からない。自分は当事者じゃないから共感はしないけど、殺人がダメなことはわかる。」的な感じで書いているのでしょうか。

でも、問題の本質はそこではない。介護殺人を行った人が、なぜそこまで追い詰められたのか、解決しなきゃいけない「根幹」の問題はどこなのか。

問題を直視する気も解決する気もない人が、分かりやすい判断基準を持って断罪している。私はそう捉えています。

タイトルの“「過激な基地反対派」言説が支持される理由”は、「手軽に基地問題の本質に触れられる」ハードル、敷居の低さがあるのでしょう。

しかしながら反対する人たちの言動は枝葉の部分であり、根幹ではありません。

このブログを通じて、少しでも多くの方が「根幹」に興味を持っていただければ嬉しいです。

 

今回も、長々とした文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。